ポーカーのゴッドファーザー、ドイル・ブランソンを振り返る3つの思い出

ポーカーのゴッドファーザー、ドイル・ブランソンの生涯と功績を、3つの個人的な思い出と毎年恒例のドイル・ブランソンの日に振り返る。
ポーカーのゴッドファーザーとして広く知られるドイル・ブランソンは、このゲームが生んだ最も影響力のある人物の一人であり続けている。そのキャリアは数十年にわたり、ポーカー文化への影響は今なお色濃く残る。毎年10月2日には、ファンやプレイヤーが「ドイル・ブランソンの日」として、ゲームを祝い彼の功績を称える非公式の催しを行っている。この日付は、彼にまつわる有名なハンド「10-2」にちなんで選ばれた。
ゴッドファーザーへの書き込みインタビュー
ブランソンとの印象的な出来事の一つに、パンデミックが始まって間もなく実現した書き込み形式のインタビューがある。共通の知人が、ポーカーメディアのために質問に答えてくれないかとブランソンに打診した。承諾の返事が来ると、独自のストーリーを組み立てるべく質問が用意された。
多くの読者が知る通り、ブランソンは口数の多い人ではなかった。この時期はライブポーカーから離れていたため時間はあったはずだが、それでも回答は簡潔で要点を突いたものだった。インタビュー自体は長くはなかったかもしれないが、ブランソンとの会話を掲載できる機会は特権だった。レジェンドの短い答えでさえ重みを持つ、ということを今も思い出させる。
2018年WSOPとファイナルテーブル進出
2018年のワールドシリーズオブポーカー(WSOP)を前に、ブランソンがWSOP連続出場記録を続けるのかどうか噂が飛び交った。彼はそれを、リオへ行って2-7ローンボールのトーナメントに出ると告げるシンプルなSNS投稿で払拭し、おそらくこれが最後の出場になるだろうと付け加えた。
しかし実際には、単なる顔見せどころではなかった。WSOPブレスレットを10本持つブランソンは、84歳にしてファイナルテーブルまで勝ち進んだ。さらに特別だったのは、息子で同じくポーカーの殿堂入りを果たしたトッド・ブランソンもファイナルテーブルに到達したことだ。当時は、レジェンドへの集団的な別れのように感じられた。実際にはブランソンはその後も数年にわたり、亡くなるまでポーカーを続けたのだが。
ドイルと直接会ったこと
ポーカーメディアで17年近く働いた後も、私の中にはゲームとそのスターたちのファンであり続ける部分がある。何十年もの間、ポーカー界でドイル・ブランソンほど大きな存在感を放ったスターはいなかった。晩年の数年間、彼の関心は主に家族とポーカーに向けられていた。ゲームの普及のために十分すぎるほど尽力してきたため、メディア出演は稀になっていった。
その結果、メディアとして彼に会う機会は訪れなかった。代わりに、私がドイルに直接会い、数分間を共に過ごせた唯一の機会は、友人でウィメン・イン・ポーカー殿堂入りのジャン・フィッシャーによる紹介を通じて実現した。あの日の記憶は、ほぼ10年が経ちいくらか薄れてきたが、彼に会ったときの体験の記録は残っている。
ドイル・ブランソンの日はこれからも
10月2日がまた近づき、ブルンソンのポーカー人生と、彼がこのゲームに残したものを振り返るのにふさわしい時期となった。ホームゲームでも、地元のポーカールームでのキャッシュゲームでも、この日はポーカーを祝い、「ポーカーのゴッドファーザー」を偲ぶ機会だ。
彼の歩みをもう一度たどりたい人向けには、セレブレーション・オブ・ライフの追悼イベントや、本人がナレーションを務めたオーディオブックなどの資料がある。その遺産は今もポーカー界に影響を与え続けており、ドイル・ブランソンの日は、彼の功績を毎年思い起こさせる日となっている。