サージ・フェリス:静かなるポーカーの伝説

フレッド「サージ」フェリスは恐れを知らないキャッシュゲームのプレイヤーであり、ポーカーの殿堂入りを果たし、スチュ・アンガーの伝説的なキャリアを支えたバッカーでもあった。
フレッド・バーナード「サージ」・フェリスは、スポットライトを追いかける男ではなかった。ポーカーがテレビではなく煙草の煙が充満した裏部屋で行われていた時代に、フェリスは全米で最も尊敬され、恐れられたキャッシュゲームプレイヤーの一人として名を築いた。ドイル・ブランソンやビリー・バクスターといった巨人たちの同時代の友人であり、スチュ・アンガーのキャリアを静かに後押しした男として記憶されている。
メイン州の貧困から「サージ」のニックネームへ
フレッド・フェリスは1928年12月1日、メイン州ウォータービルに生まれた。レバノン系の鉄道労働者の息子で、幼少期に家族は極度の貧困を経験した。その経験から、金を大切にしながらも執着しないことを学び、後に巨額をためらわずに賭けることを可能にした。
「サージ」のニックネームは、アメリカ空軍での服役中に得たものだ。軍を離れた後も、そこで培った規律と冷静さは生涯彼とともにあった。
ロード・ギャンブラーの時代
1940年代から1950年代、フェリスは典型的なロード・ギャンブラーとして、テキサス、ルイジアナ、オクラホマを渡り歩き、違法ゲームでプレイした。イカサマや暴力が日常だった危険な環境の中で、彼は名誉ある男としての評判を築いた。
フェリスは、ドイル・ブランソンが苦しい時期に持ちこたえるのを助けたことで知られている。ブランソンが遠征先で破産したとき、フェリスはためらわずに金を貸し、彼が再び勝負の場に戻れるようにした。二人の友情は相互の尊敬とポーカーへの共通の愛に基づいていた。
1960年代、フェリスはラスベガスに移り、ファイブカード・スタッドで圧倒的な強さを誇った。多くの証言によれば、同種目で国内最高のプレイヤーの一人と見なされていた。1970年代、ラスベガス最大のゲームはトーナメントではなく、ダンズ・カジノで共同オーナーのシド・ワイマン(1979年ポーカー殿堂入り)が仕切るキャッシュゲームだった。ブラインド$1,000/$2,000で24時間体制で行われ、フェリスはブランソン、パギー・ピアソン、ジャック・ストラウス、ボビー・ボールドウィンといった精鋭相手に互角に渡り合える数少ないプレイヤーの一人だった。
得意種目はノーリミット・デュース・トゥ・セブン・ドローだったが、どんなゲームでも進んでプレイした。ビリー・バクスターは彼を「巨大な心を持ったブルドッグ」と評し、フェリスは金を恐れない男だと語った。ポケットに$200しかなくても、$200,000あっても、瞬き一つせず全額を賭けた。
スチュ・アンガーを見出した男
フェリスの人生で最も重要な瞬間は、1980年に訪れた。彼はニューヨーク出身の26歳の若者に、1万ドルのバイインを払ってでも挑ませる価値があると直感した。その若者は、それまでノーリミット・ホールデムを一度もプレイしたことがなかった。スチュ・アンガーである。
フェリスの判断は見事に的中した。アンガーはトーナメントを圧倒し、初の世界王者の座を手にした。もしフェリスのバッキングと信頼がなければ、ポーカー界がアンガーの天才を目にすることはなかったかもしれない。
WSOPのブレスレット
フェリスは主にキャッシュゲームのプレイヤーだったが、その才能はトーナメントでも輝いた。1980年、彼は1万ドルのノーリミット・デュース・トゥ・セブン・ドローでWSOPのブレスレットを獲得。ヘッズアップでドイル・ブルンソンを破り、ボビー・ボールドウィンが3位に入った。この勝利により、当時の世界最高のプレイヤーの一人としての地位が確固たるものとなった。
IRSとの対決と「タコス事件」
1983年4月22日、フェリスはポーカー史上最も有名なスキャンダルの中心にいた。内国歳入庁(IRS)の捜査官がバイニオンズ・ホースシュー・カジノでのゲーム中にテーブルに踏み込み、税金の滞納を理由に4万6000ドル分のチップを押収した。広く語られている話によれば、金を奪った後、捜査官の一人が25ドルのチップを投げ返し、嘲笑うように「タコスでも買え」と言ったという。
フェリスはレバノン系の血を引いており、しばしばヒスパニック系と間違えられたため、多くの人々、特に地元のヒスパニック系コミュニティは、この発言を人種差別的な侮辱と受け取った。しかしフェリスは完全に冷静さを保っていた。後に、その捜査官はフェリスがよく通っていたカジノ内のメキシコ料理店での夕食を提案しただけだったことが判明する。この瞬間は、彼の性格を完璧に物語っている。当局にバンクロールを奪われている最中でも、動じない姿だった。
最後のゲームと永遠の名声
フレッド・“サージ”・フェリスは、最後までポーカーとともに生きた。1989年3月12日、60歳でこの世を去った。象徴的なことに、彼の心臓はハイステークスのゲームを終えてからわずか数時間後に止まった。
その数カ月後の1989年12月、フェリスは死後、ポーカー殿堂の18人目のメンバーとして迎え入れられた。テーブルで名声や注目を求めることは決してなかったが、ポーカーへの貢献、その勇気、そして名誉が、彼を不滅の存在の一人にした。
フレッド・“サージ”・フェリスは、「金を恐れなかった」男として、そしてポーカー史に残る偉大な名前たちの道筋に静かに影響を与えた人物として、今も記憶されている。